買取の歴史

買取の歴史

公式にも、2千数百年の歴史があることが認められている日本国。
この日本における古物商とは、一体どのような歴史をたどってきたのでしょうか。

その歴史は誠に古く、1087年、大江匡房によって記された「傀儡子記」という書籍に描かれた「傀儡子」という職業集団の生活に、 そのヒントが隠されていると専門家は見ています。

彼らは、日本全国を移動しながら生活する技術者集団でした。
彼らは「傀儡」という操り人形を製作しそれに芸をさせたり、芝居をさせて人を集め生業としていたと言います。

次第にその人形の技術は精巧な物となり、彼らは独自の技術を持ち継承する集団となっていきました。

当時人々の生活に欠かせなかった轆轤(ろくろ)に、滑車を付けて速度を画期的にスピードアップさせたり、 豊臣秀吉が建造した80艇櫓の超大型船に使用された技術もほとんどは、この集団から買い受けたものだそうです。

平賀源内が測量に使用した測量器は、この傀儡子の末裔が考案・作成した物と言われています。

また、平賀源内といえば、当時は魔術のようなものとして恐れられた「エレキテル(蓄電器)」を製作した人物としても有名ですね。

このように近代日本では、畏怖の対象にすらなっていた最先端の技術を掌握していた技術者集団、 「傀儡子」は、やがて日本国の近代国家としての成熟に伴い、昔ながらの暮らしを捨てざるをえなくなります。

そこで彼らは各地に定住の地を見つけ、それぞれが、浄瑠璃師などを営み生活していました。

しかし幕末、維新の混乱期、彼らの多くがいわれなき迫害を受け、芸能の道は閉ざされてしまいます。

そこで彼らの多くが取った生活の手段が、その高い技術力を修理修繕、そして目利きに活かせる古物商という仕事でした 。彼らは長子直伝で家を継ぎ、古物商として成功し、大変に栄えるものもあったと言います。

時は流れ、昭和24年には古物営業法が施行され、古物商は国への登録制となり、法の厳正な管理のもと、 さらに安心・安全に発展を遂げることになります。

太平洋戦争後の混乱期には、様々な背景を持つ物資が衆民の間を行き交いましたが、 このような時にも古来からの技術者集団の血を引く人々は、その高い目利き能力と技術力で、 品物を巧みにさばいていたのではないかと想像してしまいます。

実際、この時期には多くの人々が古物商の許可を取り、ミシンなどの外来品の機器を整備しては売りさばいて 家を大きくしていったものも多くいたと言います。
現在ある企業の成り立ちを追うと、この時期の起業であることも多いのです。

そんな古物営業法も、平成23年に第61号の改正を重ねています。
日本の古物業者はエコ精神を大切にする現代社会にはなくてはならないものとして、社会の中で活き活きと活躍しているのです。